20年後の景色は今と全然違うはず

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はじめに

投資に興味がない人にどうやって興味を持ってもらえるか、投資人口をどうやって増やすか、という話をあちこちで良く見ますが、実は私は楽観的です。

その理由をブログに書こうと思っていたら、先日カン・チュンドさんにほとんど書かれてしまっていることに気づきました(笑)。

「パソコンおたく」と「一攫千金投資家」(カン・チュンドのインデックス投資のゴマはこう開け!

要するに、「普通」の人がパソコンを使って通信をするのが当たり前になったのはWindows 95が出たせいぜい20年前であり、そのときは、こんなに日常的にインターネットを使うようになるとはほとんどの人が想像していなかっただろう、ということです。

つまり、投資に関する20年後の景色は今と全く違っている可能性もある、と言いたいのだと思います。

ここで終わりにするのも悔しいので(笑)、今回はもう少し自分の経験について書いてみます。

似たようなことはたくさんある

実は、私は似たような経験をしたことがあります。

私が大学生だった約20数年前、友人が立ち上げた環境サークルの集まりを覗いたことがありましたが、「現在(その当時)のような消費社会には限界があるから、これからは環境意識を高めることが必要だ」というようなことを言っている人がいました。

似たような話は1970年代くらいからさんざん言われていますし、空気を読めない私は、「そうは言ってもみんな自分の身が可愛いから、実際はわざわざコストをかけてまで環境に優しい行動なんてとるわけないだろう」というような意見を言い、なんとなく冷やかな眼差しを受けてしまったのですが、私の意見に同意してくださる方も少なくないのではないかと思います。

しかし、ここで言っている「環境に優しい行動」は、

燃えるゴミ・燃えないゴミなどの分別

シャンプーなどの詰め替え用商品の一般化

程度の話、つまり、今ではとっくの昔に「当たり前」のことになっていることだったのです。

これらは、その当時は全く「当たり前」ではありませんでしたし、ゴミの分別なんてやっているのは「意識の高い」消費者運動をやっている一部のマニアだったはずですが、少なくとも今は違反ゴミを出したら収集されないでしょうし、大半の人はゴミの分別くらい環境のことすら意識せず「普通に」やっています。

シャンプーや洗剤の詰め替えだって、20数年前は「こういう商品は清潔感が命だから(詰め替えは不潔に感じられるから)絶対に売れない」なんて言われて、普通の店では絶対売っていなかったのに、「失われた20年」で節約志向が高まったことで、みんな普通に利用するようになりましたよね。

つまり、「当たり前」の基準なんていつの間にか変わってしまう程度のことだと思うのです。

とはいっても、いくつかの条件があるのでは

しかし、このような「当たり前」の変化にはいくつかの条件があるように思います。

まず、「当たり前」を支えるシステムです。

ゴミの分別の場合、どこに行っても燃えるゴミと燃えない(燃やさない)ゴミのゴミ箱が分かれていますし、ゴミの収集も分別済みのものだけに対して行われます。

むしろ、分別用のゴミ箱がない方が落ち着きません。

別な言い方をすると、ゴミの分別をしようと思ったらそれがスムーズにでき、そうでないとかえって不便を感じるような仕組みがすでに実現しているのです。

また、日本では、ほかの人の目も気になるのではないでしょうか。

昔は、詰め替え式のシャンプーを使っているなら、環境意識(笑)が高い、ケチケチしている、不潔、と好奇の目で見られていたような気がしますが、今はどこでも普通に扱っているし、みんな普通に使っているので、詰め替え式シャンプーを使わない人の方がむしろ贅沢というか変わり者という風に見られるのではないでしょうか。

要するに、横並びの意識が強ければ強いほど、まわりにやっている人がどれだけいるかどうかが重要で、逆に、臨界点をほんのちょっと超えただけで普及が一気に進む可能性もあります。

投資の場合はどうか

投資の場合はどうかというと、今はかなり急激にこれらの条件が整い始めているタイミングではないかと私は思います。

私はまともに投資を勉強し始めたのが2013年~2015年ごろでしたが、この時と比べても現在は各段に投資環境が整ってきたと思います(なんせ、その頃でも信託報酬率が1%を切っていたら低コストファンドなんて言っていましたし、半年前のインデックス投資の本の記載が古くなることが普通になってきているわけですから)。

もちろん、つみたてNISAの導入も大きなイベントとなるでしょうが、その前後のインデックスファンドの低コスト化、金融庁も無視できなくなってきた個人投資家やブロガーとの対話、個人投資家のブログや書籍での情報発信なども、現在は小さい一歩だったとしても、今後大きな変化をもたらすきっかけに十分になり得ると思います。

リーマンショック級の暴落が来たらどうするか、という声もありますが、先輩ブロガー各位の努力でインターネット上に膨大な記録が残されており、こういう情報がなかった前回とは大きく違います。

これで、システムはかなり整ってきたので、あとは、2番目の「ほかの人の目」が変われば一気に投資が普及すると思います。

こればかりは急には変わらないかもしれませんが、上にも書いたように、臨界点を超えた瞬間にみんなが口々に「あれ、投資していないの?将来のこと真剣に考えているの?」と手のひらを返したように言い始めることも私は十分にあり得ると思っています(一般向け雑誌の少額投資の記事が増えてきたこともその兆候ではないでしょうか)。

私は新製品が次々と出て市場が大きく変わる様子をウォッチするのが好きなのですが(以前はカシオQV-10から100~200万画素あたりのデジカメ市場をウォッチしていました)、今のインデックス投資界隈はそれに似たスピード感やワクワクする雰囲気がありますし、20代~30代で最初に出会う金融商品がこのようなものであれば、経験が蓄積される20年にはそれが「当たり前」になっても不思議はないでしょう。

そもそも、20年前はフィルムカメラが「当たり前」でデジタルカメラはマニアのもの、そして、「どうやったらデジタルカメラを一般の人に普及させるか」なんてことが掲示板で大真面目に語られていたりもしました。

今は、デジタルカメラ(というよりスマートフォン)が「当たり前」でフィルムカメラを使っている方がマニアですよね。投資も似ていると思います。

残された課題

さて、それでは、投資普及の将来はバラ色なのでしょうか。

私が気がかりなのは、投資において経験がフィードバックされる期間は長いことです。

特に、長期投資を行う場合は、20年ほど経ってやっと効果が目に見えるということも珍しくありませんから、成功体験を積むにもかなりの年月が必要になります。

知人やインターネット上の情報を参考にして情報が伝達される可能性もありますが、現実的には家族など近しい人から投資を学ぶことが多いでしょうから、結果が出るのに20年経つなら、次の人が始めるのはやっと20年後、さらにその結果が伝わるのは40年後、と気が遠くなるような時間がかかります(そして、一度失敗してしまうと、また次の20年に期待するしかなくなってしまうかもしれません)。

これはすぐに結果が体感できるほかの商品とは違うような気がします。

したがって、社会全体で投資の普及を望むなら、世代を超えたかなりの長期間で取り組む必要があり、結果が出ないからすぐに政策を転換するようなやり方ではせっかくの芽をつぶしてしまうことになってしまうかもしれません。

そもそも投資をする必要があるのか

また、そもそも投資に興味を持ってもらう必要があるのか、ということも個人的には気にかかっています。

資産管理のことを知れば知るほど、私は、普段の支出の適切なコントロール(必要なものにはきちんと支出することも含めて)がまず重要で、投資は二次的なもので、投資の額や、そもそも投資するかどうかは本来は個人がそれぞれ判断すれば良いことだという考えが強くなってきました。

私が、投資人口が増えてほしいと思う理由は、

・人生で重要な割合を占める「資産」について話すことが自然なことになってほしい
・投資人口が増えることで投資への理解が深まり、投資家に対して税制などの再分配政策が極端に不利になってほしくない

というようなものですが、それさえ守られていれば、私個人には不利益はなく、率直に言うと、投資するかどうかは個人が決めればいいことだと思います。

私は、自分の意思で投資を始め、この行為を楽しいと感じていますし、これからどうなるか分からないにしても、(個別の投資判断はともかく)この選択自体を後悔することはないだろうと思います。

そういう意味では、とても楽しいこの行為をほかの方に勧めたい気持ちもあります。

しかし、おそらく年金も減額され、これまで以上に自助が重視される流れになっていることを十分に認識していても、なお、支出をコントロールする意思もなく、リスクも一切取りたくない、という人に無理やり投資を勧めるべきなのかどうかというと、違和感も覚えます。

今回のエントリーをこういう形でまとめるのも何なのですが、やはり、投資は自立、投資は自己判断なのではないか、と改めて思う次第です。

つみたてNISAと現行NISAで棲み分けさせるんじゃない?

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つみたてNISAの導入を目の前にして、ものすごい勢いでインデックスファンドの現行商品の信託報酬引き下げが進められています。

えーっと、りそなのSmart-iの新規設定に加え、大和のiFree、AM Oneのたわらが値下げ、ですか…?

もはや私は全てはフォローできていません(笑)。

このあたりの背景に関しては、菟道りんたろうさんが、以下の記事で、つみたてNISAの対象ファンドになるためには運用会社が金融庁に届け出てて認められなければいけないという仕組み自体が運用会社や販売会社の価格競争を促す効果があることを論じています。

「iFree」と「たわらノーロード」が信託報酬を引き下げへ―「つみたてNISA」には“孔明の罠”が仕掛けられていた(The Arts and Investment Studies)

この記事はなるほどと思って読ませていただいていたのですが、そこでふと思ったのは「これは暗につみたてNISAと現行NISAでの棲み分けを促しているのでは」ということです。

私は以前下の記事で、初心者向けの商品選択に制限をかけることは仕方がないものの、自動車免許の初心者マークが外れるように、ある程度投資期間が長くなったらもう少し商品選択の制限をゆるめてもいいんじゃないかと考えたことがあります。

「iDeCoで運用商品数制限」はやむを得ない。しかし…(サボテンのように資産を育てるブログ)

これはiDeCoでの話でしたが、同様の論点は、つみたてNISAと現行NISAの関係にも該当するかもしれません。

つまり、

(1)つみたてNISAはかなり商品選択の制限をきつくすることで、これから投資を始める人が合理的(低コスト)・長期的に投資できるようにし、運用会社や販売会社への(立ち入り検査なども含めた)監視を強めることでこれを担保しようとする一方、

(2)現行NISAはどちらかというと玄人向けに、かなり商品選択を自由にして自発的な商品選択を促すという制度として併存させる

ことを考えているような気がするのです。

これが正しいとすると、

・ある程度知識のある人なら現行NISAの欠点も良く分かっているはずだから、5年あるいは10年という非課税期間もやむを得ない(逆を言うと、これ以上現行NISAの非課税期間が延びるのは望み薄)
・逆に、つみたてNISAは徹底して商品制限をする(それが嫌な人は現行NISAを使ってもらう)
・シンプルにインデックスで運用を行いたい人は(初心者でなくても)つみたてNISAに移行することが合理的

ということになりそうです。

これはたまたまそう見えるだけかもしれませんし、既存のNISAをいじれないことから来た苦肉の策、あるいは瓢箪から駒かもしれませんが、こういう目で見てみると、現行NISAがあるのにわざわざつみたてNISAを作るなんてナンセンスだ、という当初の議論(私も思っていました)は必ずしも当たらないのではないかという気がしてきました。

もし、これが意図して行われたことなのなのであれば、菟道りんたろうさんがおっしゃる通り金融庁恐るべし、です。

いつか金融庁のミーティングに出て、こういう質問をぶつけてみたいものです。

三歩下がって市場の影を踏まず

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海外ETF投資家のフクリさんが以下のような記事を書かれています。

投資で失敗をしないために、影を追わない。(フクリの海外ETF長期投資)

ワールドカップ予選におけるオーストラリアのサポーターの挑発文『NIPPON : FOREVER IN OUR SHADOW (日本は永遠に我々の影)』(オーストラリアもロングボール主体では本選で勝てないとつなぐサッカーに切り替えているので、個人的にはどっちもどっちかなと思っていますが)や『投資の鉄人』の文などを引いて、以下のようにまとめていらっしゃいます。

株価は影のようなものであり、投資家の欲望と恐怖が原因で価格が上下すると書かれています。短期の株価で一喜一憂してはいけないですし、値動きに魅了されてはいけません。

私もインデックス投資を始めた頃は、株価の影を追い回していました。毎日のように一喜一憂していた気がします。数百円の変動でも、それはそれは気になったものです。今では、数万円、数十万円の変動があっても、気になりません。たぶん、株価の変動に慣れ、感覚がマヒしているのだと思います。

最近の少しの円高・株安で、『チャンス!チャンス!スポット投資の絶好の機会だ!』などという動きをする投資家を見ると、もう少しどっしり構えた方がいいのにと思っています。このような行動をしてしまう投資家は、投資をいつか続けられなくなってしまうのではと心配してしまいます。(フクリの海外ETF長期投資)


私も思い当たるふしがないわけではないので、耳が痛いです。

今回くらいの株安ではインデックスファンドの追加投資を行う気は全く起きませんでした(トランプラリーの直前と比べればまだまだ株価は高いですし)が、サテライトの個別株投資では先月もスポット投資を行ったことは確かで、インデックスファンド積立投資の考え方から言えば邪道なのかもしれません。

ただ、私の場合、まともに投資を始めたのが2015年8月のチャイナショック直後、そして大きな調整を経験していないということで、(これまでも何度か書いていますが)まだ市場との距離を計りかねているところはあります。

今は、インデックス投資を8割程度と中心に据えることは全く変わらないものの、サテライトで日本の内需あるいは海外展開に強みを持つ中小型の個別株式に1割、米国の高配当大型株に1割、という形で投資をするのが自分に合っているという考え方に寄ってきていますが、それが正しいかどうかは実際に試してみないことには分かりません。

これから必ず来ると思われる大きな調整の局面において、自分が相当なストレスを感じるであろうことは間違いありませんが、自分がそれでめげるような人間ならそもそも投資なんて向いていないだろうと思っています。

それで投資を止めてしまうのであれば、ほかの誰でもなく、私自身の責任です。

その前提では、最低限市場に残れるように気を使いながら、痛い目に遭ってから立ち直る経験も今の自分には必要なのではないかという気がします(自分の性格を考えると、多少は痛い目に遭わないかぎり、もっと大きい失敗をしてしまうような気がします。もちろん、同じことをほかの人に勧めるつもりはありません)。

個別株式投資を行って良かったと思うことの一つとして、「市場は正しいが、ときに間違っている」と感じたことが挙げられます。

確かに、市場で付けられている株価は、いろいろな予想を反映したかなり正確なものであることは間違いありませんが、ときに短期的な要因で株価が変動し、本質的な価値から大きく外れることは決してないわけではないように感じるのです(いわゆるミスターマーケットの話ですね)。

自分がそのようなタイミングをつかめると言うつもりはありません。

しかし、たとえ市場全体が低迷しているときでも、それは、必ずしも市場が正しいからではなく、本質的な価値とかけ離れたところで価格がついているからだと思うだけで、少し安心します。

言わば、市場とつかず離れず、三歩下がって市場の影を踏まず、です。

これからもこんな距離感で市場と付き合っていくつもりです。

VALUじゃなくてNILU発行しましたよ

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VALUじゃなくてNILUをやってみた



今流行りのNILUを発行しました。

いえ、VALUじゃなくて、NILUです。

詳しくは以下のサイトをご覧いただくのがよいと思いますが、エンジニアのMito Memel(@mito_memel)さんが開発した完全無料で「評価経済ごっこ」ができる魅力的なサービスです。

「VALU」のパロディー「NILU」登場 誰でも自分の“株”発行、完全無料のお遊びサイト(IT media)

ツイッターのアカウントを通して連携すると、このサイトだけでしか使えない5万ノットコインと1000個のNILUが付与され、あとは板を読みながら株式のように自由に取引するという感じです。

通貨としてビットコインならぬ「ノットコイン」が採用されていることなどから、何のパロディなのは言わずもがな。

サービスは無料でノットコインは金銭との交換が全くできないので、某サービスで問題になった買い煽りが発生しても全く実害はありません(笑)。

公式ページはこちら、私のNILUの取引状況はこちらで確認できます。

スクリーンショットはこんな感じです。

NILU.png

利用してみた印象



早速やってみましたが、基本的に裏付けになるものが全くない(優待すら設定できず、詳しいプロフィールなどもツイッターアカウントを見ないと分からない)ので、NILUを保有をする動機は以下の2つくらいかなと思いました。

1.特定の人に何らかの関わりを持っているという満足感
2.将来値上がり益が見込める

1については、アルファツイッタラーのNILUを少しでも保有していることは、その方と何らかの関わりを持っているような気分に(少なくとも私は)なれて嬉しいです。

2.については、(1の満足感などを裏付けにして)とにかく将来高く売れそうなNILUを保有して、値上がり益を得ようという動機は働くでしょう。

私が見た限りは、よほど憧れの人とか、面白いツイートをする人とかでない限り1の動機はあまりないと思うので、より重要な要素は2の値上がり益のように感じます。

そこで、知名度が高い(フォロワー数が多い)アカウントや、現在出来高が増えているアカウントのNILUに指値をできるだけ安値で入れて、高騰したところを売り抜ける、というのを繰り返すことが有効な戦略のように感じました。

つまり、これはいわゆる美人投票(実際に価値があるからではなく、みんなが値上がりすると思うから買う)ではないかという印象を持ちました。

ときどき取引が盛り上がって10ノットコインで買い付けたNILUが100ノットコインまで値上がりしたりする、バブルみたいな現象も起きるようです。

そう考えると、このサービスは美人投票やバブルを仮想敵に体験するためのトレーニング教材だと考えることができるのかもしれません。

気になるところ



今のところ、全体的な取引高はそれほど多くないため、かなり有名なアカウントのNILUでもまだまだ流動性が低いように感じます。

ましてや、私のような弱小NILUはほとんど取引が成立しません。

この辺はもうちょっと楽しめるようになっているとさらに魅力が高まるんじゃないかと思いました(開発された方は個人のようですので、ここまでシステムを作ってくださったことだけでも感謝しなければいけないですが)。

一つの方法は、NILUを発行しているアカウントの検索ができるようにして(今のところは総資金額、出来高、人気などのランキングが高い人以外を探す方法がないようです)、自分の知り合いのアカウントなどを見つけて上の1の「特定の人に何らかの関わりを持っているという満足感」を高めることが考えられます。

株式の持ち合いみたいで、あまり建設的ではないのかもしれませんが、今のままだと誰でも知っているアルファツイッタラーの方でないとNILUを購入してもらうことができず、飽きてすぐ退会してしまう可能性があるような気がします(実際、残念ながら退会するアカウントも少なくないように感じます)。

また、無料サービスであるため、かなりルールが緩く作られている印象で、別アカウントで買い煽りやさくらをしたり、退会と登録を繰り返すことで資金を増やすことももしかしたら可能かもしれないという感じがしましたが、このあたりは遊びとして良識を守って利用するほかないのかもしれません。

細かいことを言うと、NILUの発注数と価格を逆に入力してとんでもない注文をしてしまったことがあったのですが、発注前の確認などはあってもいいんじゃないかと思いました。

まとめ



注意すべき点もありますが、NILUは無料サービスとは信じられないほど充実したサービスですし、美人投票やバブルを体験できるところは面白いです。

普通の人がNILUを売り出してもあまり活発に取引されない理由の一つは、このサービス自体の認知度がまだそれほど高くないことだと思います。

読者の皆様がどんどん参入していただければ取引が活発になり、NILUの流動性も高まると思われますので、ぜひ一度試していただきたいものです。

NILU公式ページ
すいさくのNILU

『マネーの公理』を読んで改めてリスクについて考えてみた

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1.はじめに



最近『マネーの公理』を読みました。

スイスの資産家の間で信じられているという12の「公理」を逸話とともにわかりやすく説明している本です。


詳しい内容については以下の書評が詳しいので、そちらに譲ることにしますが、この本の内容は私の考える投資スタイルとはかなり違うものの、ふと考えさせられることがありました。

『マネーの公理』(マックス・ギュンター)を再読(【L】米国株投資実践日記(旧称:レバレッジ投資実践日記))

2.全ての投資は投機である



この本で印象に残った箇所の一つは、第一の公理「リスクについて」の以下の部分です。

投機家というと、荒っぽく、軽率なチャンスを求めて駆り立てる者たち、といった印象が強いかもしれない。だから、あなたは投機家ではなく投資家でありたいと考えるかもしれない。投資家であるほうが、たしかに安全そうに聞こえる。(『マネーの公理』)

しかし実際には、何ら違いはない。(中略)「すべての投資は投機である。唯一の違いは、ある人はそれを認め、ある人はそれを認めないことだ」(『マネーの公理』)


実は、私は投資と投機(あるいはギャンブル)はゼロサム(あるいはマイナスサム)かどうかで区別されると考えて、以下のような記事を書いたこともあります。

投資とギャンブルの本質的な違いは?(サボテンのように資産を育てるブログ)

この考えは今でも変わっていませんが、『マネーの公理』で指摘されているように、「リスクがない投機(投資)はない」「ほとんどの人は、(投資と投機を区別することによって)自分でそうしたリスクを認識することなく投資を行っている」(カッコ内はすいさくによる追記)という指摘には耳が痛いものがあります。

3.全ての投資にはリスクがある



インデックス投資を含め、もちろん程度の違いはあっても全ての投資にはリスクがあります。

逆に言うと、リスクがあるからこそ、これらの投資は、預金などのいわゆる安全資産よりも高いリターンを得られる可能性があるということになるでしょう。

私は「投機」という言葉にはやはり抵抗があるので、今後も「投資」と「投機」は区別するつもりですが、

たとえ「投資」を行っていたとしても「投機とは違うから安全だ」と考えるべきではないということ

こそが「第一の公理」の意味することだと感じました(ベテランの方には当然すぎて書くまでもない話だろうと思いますが)。

4.リスクがあるのだから、資産が0になる可能性だってある



考えてみると、これほど明確ではないものの、自分でも同じようなことを感じていたことに気づきました。

よく、リスク許容度の説明で

「2σまでの下落は考えておきましょう」

「σ=0.15とするなら、年率30%くらいの下落までは十分にあり得る」

と言われますが、これは、あくまでも正規分布を仮定すれば約95%の確率でリターンの年率が2σの範囲に収まるということであって、残り約5%の確率ではそこからはみ出すこともあり得ます(このあたりの注意点については梅屋敷商店街のランダムウォーカーさんの「資産配分(アセットアロケーション)で勘違いしやすいポイント」が参考になります)。

しかし、さらに良く考えてみると、正規分布を仮定する限り、確率分布の裾は上下に無限に広がっているわけですから、

資産をほぼ全額失う

確率は(ものすごく小さいと思われますが)絶対に0にはなりません(正規分布以外の分布を仮定しても結論はあまり変わらないでしょう)。

考えてみれば、その辺を歩いていても事故に巻き込まれる可能性もありますし、家の中にいても地震が来るかもしれませんし、そもそも隕石が降ってきて地球の半分が壊滅してしまうかもしれません。

よく「投資は余裕資金で」と言われますが、これを深読みすると、単に年率2σの下落に耐えられるというだけではなく、ほとんど無視できそうなくらい小さい確率かもしれないとは言え、投資資金のほとんど全てを失う可能性もないわけではないという意味(初心者にいきなりそう言うと投資に踏み出せなくなるので言わないだけ)のような気がしますし、少なくとも私はそのつもりで資金を投じています。

というか、『マネーの公理』を読んでそのことに改めて気づきました。

5.最初から想定しておけば怖くない(と信じたい)



個人的にはこう考えると楽になりました。

「今、リスク資産に投じている資金が(ほんのわずかの確率とは言え)いきなり0になったら」

と自問してみると、生活防衛資金があるとは言えかなり厳しいですが、なんとかやりくりできなくはないように感じます(将来は、学生時代のように、大なべでもやしスープを作って食べる毎日になりそうですが)。

そう考えると、どんな大暴落が来てもそれよりはましです。

レバレッジをかけていない限り、資産が0より小さくなることはないわけですから。

また、こう考えることは狼狽売りを防ぐことにも役立つかもしれません。

なにせ、リーマンショックが来ようが、世界恐慌が来ようが、ドットコムバブルが来ようが、さすがに資産が文字通り0になることはまずないわけですから、売るだけ損です。

そういう意味では「すっごく小さい確率かもしれないが、資産を全部失って無一文になったら」ということを頭の中で一度シミュレーションしてみるのは無駄ではないのかもしれません。

なお、これが極端に流れると、今度は「資産が0になってしまえば同じだからどんな投資をしても良い」になってしまうかもしれません。

しかし、もちろん私はそう考えているわけではなく、2σルールや適切な分散投資などにより十分にリスクコントロールをした上で、なおそこから外れる可能性をリアルに想像しておくことも悪くないんじゃないかというのがこの記事の趣旨です。

6.おわりに



そんなわけで、今回、『マネーの公理』を読んだことをきっかけに開き直ってみましたが、この本の原書の初版の出版年は1985年のため、今読むと古さを感じる記述があります。

たとえば、「投機でなく投資だから安全だ」と勘違いして失敗した例として1971年に高値をつけた後株価が低迷していたGMが挙げられ、「(当時の)超優良株中の優良株であるIBMでも安全とは限らない」というようなことが書いてあるのですが、

IBM、25年前(この本の出版された直後)はオープン化とダウンサイジングに乗り遅れてだめだったじゃん!

IBM、今もアマゾン、グーグル、マイクロソフトに押されてまただめじゃん!(一応ホルダーです)

というわけで、個別株式のリスクはインデックス投資とは多少違うとは言え、「優良資産への投資だから安全」という言葉が一人歩きしてしまうことにはくれぐれも気をつけたいと個人的には感じました。

なお、この本では「長期投資を避けよ」など私の考えと若干違うことも書いているので、それを自分の中でどう整理すべきかは今も考えているところです(おそらく、この資産は絶対安全だから、愛着があるから、という理由だけで資金を引き揚げるべきときにそうしないことを戒めているのだと思います)が、それについてはまた別の機会に。